むしゃなび特集/2006年9号/伊達市室蘭市を含む西胆振のポータルサイトむしゃなび

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■ むしゃなび特集 2006年9号 ■
大地の力を身近に感じる ガイドとともに 有珠山噴火の遺構を歩く [2/3]
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大地の力を身近に感じる
 ガイドとともに 有珠山噴火の遺構を歩く


 洞爺湖温泉のすぐ裏手、南西に位置する金毘羅山。ここは、2000年の噴火の際、火口ができ、熱泥流が流れ出し、噴煙や噴石、火山灰が噴出した火口がある現場です。山の斜面には、砂防工事がなされた草地や緑の林にまじって、黒く焼け焦げた木が林立しているところも見られます。現在は「金毘羅火口災害遺構」として整備され、散策路となっています
 今回ガイドしていただいたのは、有珠山ガイドの会の馬場俊治さん。お会いして、開口一番「有珠山の噴火には、必ず前兆の地震があります。343年間で9回の噴火がありましたが、このおかげで避難することができ、最初の噴火では一人の死者もだしていないのですよ」と教えてくれました。

災害の跡を、そのまま遺構として保存する


 だだっぴろい河川敷のような雰囲気の中、散策路を歩いていくと、コンクリートの建物が見えてくる。近づくと、窓ガラスが破れ中に泥がぎっしりとつまっっている。これは、町営の公衆浴場「やすらぎの家」の跡。
 続いて、当時5棟あり、124戸が入居していたという公営住宅の建物。一階のように思えるところは実は2階部分で、一階は泥と火山灰で埋もれているという。また、破れた窓から5階の屋根を見上げると、大きな穴がぼこぼこと開いて、青空がのぞいている。人の頭くらいの大きな噴石が降った証拠だろう。その災害の爪痕に、ただただ、驚くばかり。
 馬場さんの解説で、金毘羅山の山裾の国道にかかっていた600トンもの橋が、熱泥流によって約80メートルも流され、この団地の建物にぶつかって止まったことも分かりました。目の前の遺構が、その動かぬ証拠として多くを物語ってくれています。


避難所生活から学んだこと


 家財が埋ったままの団地を前に、馬場さんは「人や物に思いを託すとつかれます」と話しだす。何のことだろう、と耳を傾けると、「避難所での生活というのは何も持たない暮らしそのもの。体育館に大勢での暮らしからみれば、工事現場でよく見かける事務所のプレハブが立派なお屋敷に見えたものです。何かに執着し、ああ、あれも失った、これも失った、となると、がっくりしてしまい生きる力さえ失ってしまう。人は何ももたずとも、シンプルに生きられる。何も持たずに生まれてきて、死ぬときも何も持ってはいけないのですからね。最近は、人生の半ば60歳をすぎた人には自分が得てきたものを社会に還元しましょう、と伝えていますよ」

有珠山ガイドの会


 有珠山ガイドの会のメンバーは、全員噴火・避難生活の経験者だ。中には3回の噴火体験を持つ方もいるそうで、それぞれが自分の体験してきたことを、自分の言葉で、当時の思いと共にガイドする。その言葉の重みは、体験者ならではで、言葉の一つ一つが後々に残るものとなりました。

 会員は現在28名、2000年の噴火の翌年から噴火跡地を案内し初めたそう。修学旅行生のガイドも多く、昨年は全国各地から420校、バスにして1400台の小中高生にガイドをしてきたそうです。

西山噴火口は 地震学習のメッカ


 金毘羅火口より車で数分移動し、西山の噴火口へ移動する。観光客や修学旅行生を載せた大型バスが連なり、駐車場付近には出店が建ち並ぶ。中国語やハングルなども飛び交い、海外からの観光客も多いのだと改めて感じた。
 西山火口散策路の一帯は噴煙をあげてはいるけれど、現在再噴火の危険はまったくない。ここには約30もの火口があり、近くまで歩いていける。
 修学旅行生が沢山訪れる。なんといっても、噴火によってどうなったか、目の前で確かめられる最高の火山学習の教材となるからだ。
 道路が寸断され池の中に沈んでいる。平らだったというアスファルトの道が、正断層によってズタズタになり、階段状になっている。わずか一週間で70メートルも隆起したそうだ。急に暖かい空気に変わったと思うと、足の裏から地熱が伝わってくる。馬場さんは、子どもたちを案内するときは、温度計を地面に5センチ差し込む。みるみる90度まで上がる温度計に歓声があがるそうだ。

大きな地球ー小さな自分


 地面が動き、熱を発している。人がつくった道や建物がぐにゃぐにゃとその形を変えてしまう。そんなことがあった後も、草木は萌え、何事もなかったかのように涼やかに風が吹き抜けている。
 こんな様子を目の当たりにすると、いやでも大きな自然の力を感じてしまう。そして、大きな自然の力に比べ、いかに人間は小さいか。
 では、このちっぽけな人間に、何ができるのだろうか?
 本業が整体師の馬場さんの避難所暮らしは、あるときは避難民、あるときは整体のボランティアといった日々だった。避難所では、小学生のような小さな子どももできることは何でもやって、協力して働いたそう。お年よりは知恵をだし、赤ちゃんの笑顔は皆をなごませる。避難所生活は、つらいだけのものではなく、すばらしい支え合いの暮らしでもあった。

日本は災害列島 その時何をするか?


 そう避難所での体験を伝える一方で、馬場さんは、子どもたちに問いをだす。「もし、あなたが避難所にいたら、何をしますか?」
 高校生には、その時何ができるか、もし総理大臣なら、道知事だったら、町長だったら、避難民だったなら、何をしますか?と様々な立場に振り分けて本格的な討論をさせることもあるそうだ。
 「大切なのは、自分に何ができるか?自分で考えることなんですよ」
 金毘羅の山肌に砂防工事の跡は大きく残り、西山の噴火口の近くでは、今なお地熱が高く、噴煙をあげている。そんな中でも温泉街は賑やかさをとりもどし、人々は日々の暮らしを続けている。

 ガイドをしていると、「どうしてこの地を離れないのか」と、聞かれることがあるそうだ。私もぜひともお聞きしたい。
 「生きている間に、山がもりあがったり、道が動く。地球はまさに生きていると肌で感じられる、すばらしい所だと思うのです」と即答される。そして、「こんなに美しく、すばらしい自然環境の場所は、なかなかないと思うのです。また、伊達市と洞爺湖町は雪が少なく除雪の苦労がないところでもあります。それに日本は地震列島で、いつ地震があるか分からないとどこかで不安を感じながら暮らすのと、数十年に一度必ず前兆地震で噴火が近いことを教えてくれると分かって暮らすのとでは、私は分かって暮らすほうが好きなのです」とおだやかに微笑まれた。
 噴火による災害の現場をそのまま残す。この現場の力に、さらにガイドの体験者の声が重なる。たった2時間の散策だったが、いろんなことを考えた。
 湖畔に面した足湯でほっと一息ついて、11万年前の噴火によってできたというカルデラ湖の歴史を思いつつ、温泉街を後にした。
 

●有珠山ガイドの会
事務局予約係 
〒049-5603
北海道虻田郡洞爺湖町入江157ー67
馬場 俊治
FAX 0142-76-1234
ホームページ http://www.h5.dion.ne.jp/~noah3



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